2013年07月15日

八重島街歩きのレポート

池田一仁さんをガイドに「八重島」街歩きへ。
台風の影響でくもりで風もあり、夏の街歩きとしては嬉しい天気。
10名ほどのメンバーで散策してきました。

今回の街歩きは、この夏おこなわれるアートイベント
『コザクロッシング2013 ターミナルライフ』
のプレイベントとして行いました。
8/17〜31を会期として、コミュニティバスでめぐるコザの街を準備中!
ターミナル(総合案内所)は銀大になります。
どんな企画になるかお楽しみに〜


八重島街歩きのレポート
出発前のレクチャー。
八重島は、1945年につくられた嘉間良収容所との関わりが大きい。
本島で12カ所あった収容所には、29万人、85%の人が収容されていたといわれる。
米兵の事件が多発するのをさけるために、越来の村長が特飲街を設定していく。
1949年に誕生した「八重島」もそのひとつである。

そして、嘉間良収容所の近くにコザ十字路が軍用道路として誕生。
40mは削ったといわれる越来城跡の高台。
その石垣がコザ十字路には埋められている。

十字路市場ができるふたつの大きな要因の痕跡を
街歩きで地形とともに体感してきました。

八重島街歩きのレポート
城前公園の高台から、街を眺める。
越来城は現在の市役所よりも高かったというのを実際に体感。

八重島街歩きのレポート
池田さんがフィールドワークで出会った昔からこちらにすんでらっしゃる越来の民家も訪問。
戦争体験の話を少しだけききました。いろんな草を食べて生き延びたとおっしゃるおじいさんのお庭には
いろんな草花がきれいに手入れされて咲いていて、静かだけどエネルギーを感じる不思議な空間。

八重島街歩きのレポート
八重島で池田さんが住んでいた家の2件よこには、当時からやっているお店が現役営業中。
カラオケ演歌華舞台「八千代」
いろいろとフィールドワークができたのも、このお店が残っていたからのようです。
その向かいには、チャーリータコスのチャーリーさんの自宅が。
八重島は奄美出身の方たちが集まってできた場所のようです。
その理由は、語りきれないと。。。。

八重島街歩きのレポート
当時の面影を残す建物。

八重島街歩きのレポート
1時間以上歩いてぐったりしてきたころに
八重島にある喫茶店「響」で休憩
この入口をくぐると、どこか外国のような素敵な空間がまってます☆


色々な話を聞きながらの街歩き。勉強になりました。
もっと知りたい方は、
池田一仁さん著 国策としての特飲街「八重島」を銀大にてお求め下さい
1部100円!で販売中です。


銀大事務局/林千夏


同じカテゴリー(寺子屋講座)の記事
つゆでも三線
つゆでも三線(2013-05-15 14:47)

三線教室やってます
三線教室やってます(2013-05-08 14:55)


Posted by コザ銀天大学 at 16:15│Comments(0)寺子屋講座
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。