2010年06月09日

ヤギ汁の匂いが漂う、ライブハウス。

尊敬する古堅さんが
ブログを書かなくなって久しい。

「古堅ブログ」を読んで
街づくりを学び、
実践している方も多いと思います。

もっと、ブログを書いてほしいと願うですが・・・・。

それでも
僕は、親しくして頂いているので
いつも
直接お会いして
その知性に学ぶことができるので
幸せだと思います。

銀天街も
古堅さんのおかげで
少しずつではありますが
動きが出てきました。

ほんとうに
街づくりというのは時間がかかるものです。

2007年4月に書かれた「古堅ブログ」を抜粋しました。
古堅さんの文章は長い。
がまんして(笑)、読んでみてください。


2007年04月20日
「街 造りに覚悟はあるか」

今日100人委員会のリーダー会議がありました。
そこで今後の運営方針とかいろいろ話し合いました。
しかし、たった4名のグループリーダーのなかでも、延々3時間かけてもなかなかまとまらないのです。
考えると、そもそも今回の100人委員会は、スタートからどこかボタンの掛け違いがあったのではないかと思います。
市民と行政が一緒になって、中心市街地の活性化を考えようという事だと思っていました。
市民も行政も、自らが持っている力を最大限に発揮して、自らの持分をわきまえながらも、お互い共同して働けると思っていました。

しかし実際の会議、組織は全然違うものでした。
行政の人間は単なる進行役にすぎません。
一緒に議論を闘わして、お互いの持ち場で何が出来るか、そこまで話がいきません。
行政の人間にはまるで発言権が無いかのごとく、皆黙っているだけです。
誰も責任を取らないよ、と言わんかのようです。

誰も責任を取ってもらおうとも思ってないというのは、民間側の人間の考えだと思うのですが、そのへんが難しいとこなんでしょうか、厚い壁が立ちふさがっています。

そもそも中心市街地の問題というのは、そんなに生易しいものではないのです。
それはまさしく、自らの街のアイデンティティーに関わる事だからです。
100人委員会にその解決を付託したからというものでは済まされないのです。

100人委員会のメンバーの予想に反して、市民と行政が共に街づくりを考えるという構図が崩れています。
行政からすると、民間の知恵を借りたいという事かもしれません。
しかし考えてください。
過去、幾多の街づくりの提言書がありましたか。
市役所、商工会議所、観光協会、その他にたくさんの書類が寝ているのではないですか。

もう意見、提言は結構です。
作文もいりません

皆実は分かっているのです。
今、これから何をやればいいのか、一人一人何をやればいいのか。
それは決して他人まかせではなく、自ら進んでやる事だという事を。

中心市街地の問題は実は、市民、行政、総力戦の戦いではないですか。
それは沖縄市だけの問題ではないはずです。
戦後日本の大きな都市政策の問題でもあるのです。
だんじて一商店街だけの問題ではないのです。
それを矮小化して、局所的な問題としてしか捉えきれなかったのが、今の日本の都市政策の問題ではないでしょうか。

しかし中心市街地の問題は、民間、行政、双方が発想を変えれば、意外と簡単に片付くものかもしれません。
その具体例は、青森を始め全国にあまたとあるはづです。
しかしその違いは、トップの決断と、職員、市民一体となったその覚悟です。

市民も自立した発想が必要なのは当たり前で、行政は行政で、現在の縦割りの枠を超えて、横横断的に市民のための政策を考えられるかが一番大事なポイントです。
まさに街ぐるみの総力戦を闘う、その覚悟が必要です。

今回の100人委員会の発想はとっても素晴らしいものです。
しかし今日現在、それが単なる一部署、あるいはコンサルタント任せの委員会に終わるとしたら、じつに不幸な事です。

僕らにも行政にも、強い覚悟が必要です。
その覚悟を確認できなければ、今回の委員会は徒労に終わるでしょう。

まだ今からでも遅くはないはづです。
100人委員会の再構築が出来る事を信じます。

次回の100人委員会は、荻野さんが進行役になって、ミュージックタウンの現在を集中討議する事になっています。
今まで100人委員会についてはあえてブログに書きませんでしたが、これからは僕個人の意見という事で、できるだけ情報発信していきたいと思います。


2007年04月25日
「官と民の垣根、越えられるか」

昔1980ん年代、僕には観光協会の青年部の部長をやっている時期がありました。
まだ40代になったばかりだと思います。
当時、街づくりのいろんなイベントに関わっていました。
若かったので、かなり無謀と思われた事でも臆せずやれたと思います。
しかし、失敗したら自分で責任を取るぐらいの覚悟は、当時街づくりに携わっている人間の当たり前の常識だったと思います。
そして僕らの覚悟を、当時の行政のトップもよく理解していました。
イベントの打ち上げどころか、まだ成功するかどうか分からない段階の時でも、ちゃんと激励に来たものです。

もちろんそれは、選挙とかにはいっさい関係なく、街の活性化を目指して頑張っている若者への、熱いエールそのものでした。
そしてそれはトップだけにとどまるものではありませんでした。
助役をはじめ、部長、課長クラス、一般の職員にいたるまで、とにかく、街づくりに関わる人間に対する期待と、熱い共感は、皆が共有していたと思います。

当時、そういう雰囲気の沖縄市に来た那覇の人間がビックリしたものです。
こんなに自由に遠慮無く、市長、助役、部長、課長と話しができるものかと。
那覇では考えられないというのです。
でも僕らにとってはそれが当たり前の時だから、逆に彼の言っている意味が分かりませんでした。

当時、市長をはじめ末端の職員とも居酒屋でよく飲んだものです。
もちろんいつも話題は、街づくりそのものです。
その席で選挙を話題にする事は一切ありませんでした。
お互い皆大人だったのです。
いやそれ以上に、この街の事を語る事の方が大切だったと思います。
そしてそれは、党派とかを超えた、この街の人間の連帯感そのものに根ざしていたと思います。
ですから、まさに楽しい、有意義な酒の座でした。
沖縄市には、そういう良き伝統、あるいは雰囲気が有ったのです。

いつの頃からかそれが消えてしまったような気がします。
市長をはじめ幹部クラスが、市民と酒を酌み交わさなくなっているような気がします。
選挙の時の支持母体以外は眼に入らなくなったのでしょうか。
幹部クラスは、市民と飲むと汚職の疑いを持たれるというのでしょうか。
純粋にこの街の事を考えている人間はたくさんいるのに、当たり障りの無い表面だけの挨拶だけですましているような気がしてなりません。

幹部クラスがこれだから、当然一般の職員も市民の前に出て行けないのは当たり前でしょう。
いつからですか、現場に積極的に飛び出していく職員が少なくなったのは。
当たり障りのない、責任を問われる事も無いデスクワークで評価されるようになったのは。

市民が怖いのですか?
それとも馬鹿にしているのでしょうか。
行政の人間も仕事を離れると一市民ではないですか。

これからの街づくりには、それこそ行政の人間の知恵が最大限に生かされなくてはいけない場面がたくさんでてきます。
それを市民と一緒に考えていきましょう。
そのためにも、仕事、役職を離れた個人としての知恵と、意見の出し方が大変重要な事になります。

しかし、この街が好きかどうかが重要なバロメーターです。
自らに厳しく問う事から始めましょう。

官と民の垣根なんて本来あっていいものなんでしょうか?
お互いにそれを、都合のいいように、時には言い訳に使っているだけではないでしょうか。

もうそんな時代では無いでしょう。
官とか民とかいう前に、お互いに市民として何が出来るかを考える時期だと思います。
そこからほんとのパートナーシップが始まるのではないですか。

恐れずに、お互い酒を酌み交わしましょう。
肩書きなんて捨てて、一人の個人として、そしてパートナーとして、一緒に街づくりをやろうではないですか。

現場を見ましょう。
現場を見て下さい。
そこに回答がきっとある筈です。

100人委員会の再構築もそこから始まると思います。


以上
いい文章ですよね。感動します。

あれから
古堅さんの熱い想いが
街を変え、
今では、
いろんな垣根がなくなりました。

さて、
青年部長。

こんど、銀天街に
「街づくりを語る」スペースを創ります。

つきに1度の
銀天街まつりと交流サロンが
おかげさまで好評ですので

ちょっと調子にのって(笑)
日常的に交流できる場に
しようと思います。

洋服屋の倉庫(ゆらてぃく広場トイレの正面)
の荷物を片側に寄せ
20人ぐらい入るスペースを確保しました。
それも舞台付きです。

すこし、
カビ臭いのと
ホコリっぽいのと
トイレタンクの水のたまるのがおそいのが
気になりますが、

しばらくすると
カビ臭さがヒージャーカジャーに
ホコリっぽいのが、みんなのプライドに変るでしょう。
(意味わからんって)

そして、2度流しはやめてください。
節約にもなります。

できることをコツコツ続けること。

「ホームランはいらない。
 送りバントが大事!」

を合言葉に

日ごろの活動の感想を語り合い
また、
将来への展望を議論し
僕らの子どもたちのために
コザストーリーを創りましょう。

「街づくり」は、
結局、
人と人との繋がりでしかない。
       
             by 青年部長


「いつから?」って。

「ほら、耳をすませてごらん。
 テーブルをたたく音がきこえるよ。」






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Posted by コザ銀天大学 at 17:31│Comments(2)仲田レポート
この記事へのコメント
仲田さ~ん、古堅さんの文章とっても勉強になります。

街への無関心。。。=他人への無関心。なのかなって。

生き方の多様性っていったらそこまでかもしれないけど。。。

人は一人じゃ生きていけないと思います。なにかあって、それを友達に話して、ほめられたり、けなされたり、怒られたり、励まされたり。

自分はそんな中で生きていたいな。

そんなことを勝手に感じました(笑)

ヤギ汁食べにいきま~す!(笑)

ps.ブルーハーツいいですよね!!物心ついたころから忌野清志郎とブルーハーツが毎日家で流れてました(笑)
Posted by げん at 2010年06月10日 22:23
げんちゃんのおかげで
まつりの
準備、本番、かたづけなど
運営が
ものすごく楽になりました。

もう今では、
げんちゃんなしの銀天街まつりは
ありえません(笑)。

19日は、12じ集合です。

             青年部長
Posted by 仲田 at 2010年06月11日 10:58
 
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